参拝・お守り・歴史

  • 御祭神
  • 縁結び
  • 子 宝
  • 御守り
  • 掲示板
  • 日 記
  • 場 所
  • 四 季
  • 表 紙

参 拝

<目 次>
1.ご参拝の心構えについて
2.参道のお作法について
3.礼拝のお作法について
4.参拝者名簿について

鳥

1.ご参拝の心構えについて

  1. 参拝とは、神様への感謝の心のお捧げです。そしてそれを形に現したものが、お賽銭や御玉串料です。
  2. 神様は、全て心の奥まで分られていますので、お祈りは、まず先に日々の感謝を先に神様に申しあげ、それから願い事をなされて下さい。
  3. 日々の健康への感謝、家庭円満への感謝、良かった事や有難かった事など、数々の神様のみ恵みに感謝をする事が、幸福への近道となります。
  4. 神様は、感謝の心の向上を、一番喜んで下さいますので、日々多くの感謝に心掛けられ、次のご参拝の折に、神様に沢山の感謝の心をお捧げなされて下さい。お参りの回数感謝の心が多い程、より強固にお繋ぎ下さる事と思います。

鳥

2.参道のお作法について

  1. 鳥居の前では、通る時と出る時に1礼します。
  2. 参道は神様が真ん中を通られますので、左側を通ります。
  3. 手水は、右手→左手→口の順 で、手と口を浄めます。

鳥

3.礼拝のお作法について

  1. 神社の一般的なお参りの作法は2礼2拍手1礼ですので、このお作法でお参り下さい。
  2. また、男女神社では神主の祝詞の作法願い事の作法として推奨しています。2礼の後に感謝願い事をし、その後2礼2拍手1礼をします。この作法の方が明確なお祈りが出来ると思います。写真参照(慣れない方は2礼2拍手1礼のお作法をされても構いません。)
  3. 祝詞とは、文語体で書かれていて、お祭やご祈願で神様に神主が感謝願い事を申し上げる言葉です。
  4. 願い事が叶われたら、必ずお礼参りをなされて下さいね。(お礼をすれば、更に神様のご守護を頂けます。)

鳥

4.参拝者名簿について(願い事とお礼:写真参照)

  1. 参拝名簿願い事お礼(感謝)を書かれて下さい。(男女神社では、皆様の願い事が叶うように、書かれたお願い事を、朝のお勤めの時に、神様にお祈り致しています。) 
  2. 願い事が叶われた方は、お礼参りをされて下さい。(お礼のお賽銭も包まれた方が良いかと思いますよ。)
  3. 願い事の方法に付きましては、ご祈願のページで詳しく説明をさせて頂いています。そちらをご覧ください。

御守り

<目 次>
1.お守り・お札の種類
2.感謝のノート
3.御朱印(写真)
4.お守りの扱い方
5.お守りの期限
6.他のお守りとの併用について

鳥

1.お守り・お札の種類

縁結びお守り:勾玉巾着守り(5色)・縁結び巾着お守り(4色)


子宝お守り:コウノトリ水晶守り・子宝守りの2種類


安産お守り:お腹帯にポケットを付けて、入れて下さい


安産祈お守り:ご主人やご家族が安産を祈るお守りです。


安産祈お守り:ご主人やご家族が安産を祈るお守りです。


厄除け開運お守り(4色)

肌守り(紺・朱・雅):何にでも効果がある、一般的なお守り

交通安全お守り:3種類

家内安全お札(お守り入り)

商売繁昌お札(お守り入り)

絵馬:マスコット絵馬守り・感謝の絵馬

感謝のノート(毎日の感謝を書くノート)

ペーパークラフト干支お守り:デザイナー(斉藤寿美:武蔵野美術大学卒)

※ネット販売はしていません。遠方で頂きたい方はメールをお願い致します。

鳥

2.感謝のノート(特別御朱印を押します。はじめてみませんか?)

 毎日の感謝を書いてみて下さい。幾つでも構いません。出来る数から初めて下さい。

 沢山の方から、夫婦仲が良くなった。毎日が楽しくなった。明るく変わった等の報告を受けています。中には、感謝のノートを始めて1ヶ月で良い方と巡り会い、その年にご結婚なされた人もおられますよ。

 怪我や病気をしたり、交通事故にあった時に、「あーしまった」と思われた事はありませんか?一日健康で無事に過ごせた事お仕事が出来た事家族が健康であった事、それ自体がすごい事であり、感謝する事なんです。

 しかし、人間はいつの間にか自分の力で生きている様に錯覚してしまい、周りに支えて頂いている事も忘れ、感謝不足になりがちですね。(私もそうです)

 本当は、神様や仏様、またご先祖様が守って下さっているから、無事に過ごせているのですが、目に見えないので、中々分からないし信じられないのです。

 毎日感謝を書かれたら、今まで気付けなかった、沢山の感謝に出会う事が出来ますし、毎日が明るく楽しくなります。

 毎日感謝をする家庭には、次々に新しい感謝が運ばれてきます。感謝の道には終わりは無く感謝の心の向上が幸せへの近道ですよ。

 一冊が終わられたら、お供えしてお祓いを致しますので、遠慮なくメールやお電話下さい。また、感謝を書いて良かった事があれば、参拝名簿やホームページの掲示板にご記入下さい。

 最後のページに初伝として、梵字印・御朱印を押します。二冊目(中伝)・三冊目(奥伝)・四冊目(皆伝)・五冊目(極伝)となります。挑戦してみて下さい。

▶ 書きま帳ホームページはこちら

鳥

3.御朱印(写真)

 御朱印は500円です。神主がいる時は書かせて頂きますが、不在の時は、青い箱の中に書置きの御朱印がありますので、それを頂かれて下さい。

 書置きが無い場合は、参拝名簿にその旨を書いて頂ければ、郵送致します。

 また、お正月やお祭り、ご祈願の時は、多忙で対応出来ないと思いますので、書置きを頂かれて下さい。

鳥

4.お守りのお取り扱い方

 お守りはいつも持ち歩く鞄やバッグに、大切に仕舞われるのが良いでしょう。

 お守りの中には、キーホルダの様になっているものも多いですが、そのようにして使われたた場合、床などの、人が足で踏む場所に置いてしまう事があり、あまりお薦め致しません。

 神様の御分霊(わけみたま)お守りに頂いていますので、罰(バチ)あたる事はありませんが、なるべく大切にお持ち頂き、時々お守りに向かい有難うございますと、感謝の心で手を合わせられるのが良いでしょう。

鳥

5.お守りの期限

 基本的にどちらの神社もお守りの期限は1年です。期限が来たら、近くの神社に持って行かれて、古札(こふだ)入れに入れられ、新しいお守りを頂かれて下さい。

 また、お守りお札の中には、「願いが叶った」「守って頂いた」等、特別な思い入れがあるものもあると思います。それは、長く持たれていても良いですし、ご自分のお心で決められたら良いかと思います。

鳥

6.他のお守りとの併用について

 日本古来の神社やお寺で頂かれたお守りは、一緒に持たれても全く問題ありません。それ以外で頂いたお守りは、私も良く分からないものがあるので、一緒にされない方が良いかと思います。

歴 史

<目 次>
1.佐賀の歴史について
2.今山の合戦と男女神社

鳥

1.佐賀の歴史について(参考ページ)

 皆様、佐賀の歴史について一番に何が浮かばれますか?普通に考えたら、佐賀七賢人(枝吉神陽を含め八賢人)だと思いますが、佐賀にはそれ以前に、今山の合戦(陣)という素晴らしい歴史があります。

 佐賀の伝統芸能である佐賀面浮流は、皆様も良く知られるところと思いますが、それがこの今山の合戦にもとづくものと伝えられています。(参考ページ)

 今山の合戦とは、戦国時代の鍋島直茂候(佐賀藩祖)が豊後の大友宗麟の大軍勢に対し、奇襲戦法で大勝利をおさめた戦いです。

 今山とは地名のことで、現在の佐賀市大和町大字久留間の山からふもと付近で、字(あざ)今山が今でも地名に残っていて、男女神社も字今山となります。

鳥

2.今山の合戦と男女神社

 今山の合戦(陣)とは、戦国時代、豊後の国(大分県)の大名大友宗麟(そうりん)と、肥前の国(佐賀県)の大名龍造寺隆信(たかのぶ)との合戦で、龍造寺の家老の鍋島直茂(なおしげ)侯(後の佐賀藩祖)が、この今山の地(現在の佐賀市大和町大字久留間字今山)で、大友8万(6万~10万の説あり)の大軍に僅か7百(5百~7百の説あり)の兵で奇襲し、総大将大友親貞(ちかさだ:宗麟の弟、又は甥)を討ち取った戦いである。

 当時この今山は仏教繁栄の霊地として栄え、男女神社は、東の谷に講堂棟、西の谷に楼門を持つ大社であり、光明寺(男女神社南東約八〇〇メートルに位置し、今は廃寺)の座主(最高位の僧侶)が、男女神社の神座を勤めていた。しかし、この戦いの日に戦火に焼かれ、宝物・古文書等は全て焼失する。

 元亀元年(1570)大友8万の大軍に包囲された佐賀城は、5千の兵力しか無く、軍評定で篭城や降伏論が飛び交う中、鍋島直茂は奇襲(夜襲)を進言、無謀だと否定的だった龍造寺隆信も、母の慶誾尼(けいぎんに)の激で奇襲を決行する事となる。

 大友軍本陣男女神社東の赤坂山中腹に布陣し、8月20日(陽暦9月19日)を佐賀城総攻撃と定め、その前日に勝利の前祝いの酒宴を開いた。

 酒宴の情報を知った鍋島直茂は、午後6時頃、佐賀城を僅か17騎で出発したが、近隣の武将達も次々に駆け付け、今山に着く頃には7百余りの兵になり、地元の山伏達の協力を得、男女神社の西側から谷伝いに山を登り、密かに大友軍の背後、赤坂山裏側(ここには2百~3百の兵を布陣)に潜伏する。

 明朝七時頃、男女神社北東の大松(鐘かけ松:昭和三〇年頃迄存在、鐘は現在鍋島の新庄八幡宮から運んだ伝えられる)に掛けた鐘の合図で、「寝返った者が出た」と虚報を流し、一斉に奇襲を敢行、武具も付けず油断していた大友勢は大混乱に陥り、同士討ちを始めた軍中で、総大将親貞主従三人は何とか混乱を脱したが、山伝いに逃れるところを、首を挙げらてしまう。総大将を討たれた大友軍は一瞬にして烏合の衆と化し、2千余の兵を討たれて潰走、奇襲は大成功に終わった。

 その時、鍋島勢は各々鬼面を冠り、鐘、太鼓を打ち鳴らして奇襲をかけたと伝えられ、佐賀の郷土芸能の面浮流として現在も残っている。

 男女神社は、承応三年(1654)佐賀初代藩主鍋島勝茂侯・小城藩祖鍋島元茂侯の出資で再建、また鍋島元茂は、古戦場跡に正勝寺(字横馬場に現存)を建立する。

 大正15年(1926)佐賀で陸軍特別大演習が行われ、御前講和で今山の合戦の講和がなされ、昭和6年(1931)陸軍大学参謀演習にて、秩父宮雍仁親王殿下が、今山の合戦ご研究のためこの地に立たれ、前方の小円古墳の上に記念碑が建てられている。

  • 由 来
  • 行 事
  • 祈 願
  • 参 拝
  • 歴 史
  • 神 話
  • 観 光
  • 旅日記
  • 連 鎖
  • 男女神社(なんにょじんじゃ)
    〒840-0213 佐賀県佐賀市大和町大字久留間5109番地

    0952-62-1951
    カーナビ用電話 0952-62-3381